ジョナサン・ノット指揮、東京交響楽団の「第九」

今年は最初で最後となる生のコンサートに、この「第九」を選んだ。

正直行っていいものか迷ったが、どうも今年は締まらない感じがあって「第九」に行くことに決めた。行った後はしばらく人に会わないようにしようと思う。

 

東京交響楽団の演奏会には何度か足を運んでいるが、ジョナサン・ノットが指揮する時はいつも行けていなくて、それで今の状況である。無理を押して来日してくれたことは本当にありがたいことだ。 勝手な推測をすると、ノットさんは年越しを家族と過ごせないかもしれない。

ジョナサン・ノットの演奏にかける意気込みは凄いものがある。映像出演など、なんとかして演奏を続けようという意思を感じさせる取り組みが行われ続けた。

 

tokyosymphony.jp

 

その上での今回の来日だ。強い意志を感じる。

 

また、年末にはいつも第九を鑑賞する風習のあるこの国でも、今年第九を演奏することはやはり特別な意味を持ってくる。

 

tokyosymphony.jp

 

加えて、ベートーヴェンの生誕250周年という節目でもある。

指揮者、事務局が共に色んなハードルを越えての今回の演奏に、素直に感謝したい。

 

オーケストラとしても、配信による演奏会に先鞭をつけたのがこの東響だ。

 

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この取り組みが始まった頃は、オーケストラ音楽の配信ということが一般に受け入れられていなかったように思う。ここで結果を出したから、受け入れられた。

WEBの世界で聴衆が演奏に触れる機会を作ったことは、後々功績になってくるだろう。

 

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例のオブジェ

演奏会は観客を8割方入れて、感染対策もしっかりと行われ、もぎりやプログラムは観客が自身で行う形式だ。クロークの稼働もない。

舞台上にもマスクのメンバーがいる。直接見るのは初めてだ。

 

配置はというと、対抗配置を基本に舞台最上段、ほぼセンターにトロンボーン。下手側にホルン。 打楽器群とトランペットは、上手側。

金管が分散した形になっているが、今回は第九のみなので、この作品での使われ方を考えると理に適った配置だ。

合唱はP席に、新国立劇場合唱団で40人。感染対策で人数を絞り、練習回数を極限まで減らすためにプロの団体を招聘したとのこと。

ソリスト陣は第2楽章後に入場するかたち。これはいつも通り。

 

このような感じで、見た目に分かる工夫が凝らされた舞台だった。

舞台写真は欲しかったけど、権利関係が微妙なので私はいつも撮らない。まあ、ニコニコ動画で見られるしね。

 

 

本ベルの後、ジョナサン・ノットが舞台に現れると、もの凄い拍手が起こった。演奏をはじめるアクションをしなければ納まらなかっただろう。

演奏はというと、緩急に富んだ、起伏の激しい音楽だった。

全ての楽句に対して新鮮であることを求め、生命力を与えようとしているのか。常に変化し、時として聴いたことがないくらい高揚、加速する。

オーケストラは凄い反応で、変幻自在の指揮に全霊で応えているように思えた。

 

このような演奏だと、ある意味聴きなれた「第九」であっても常にワクワクさせられる。初めて聴くような効果もあった。エキサイティングな音楽だ。

 

第九が激しいコーダによって終曲すると、またも凄い拍手。ブラヴォーが禁止されている分、温度の高い感じがした。

アンコールは恒例なようだが「蛍の光」が演奏された。照明を使っての演出が美しい。

 

プログラムが終わり、オーケストラが撤収した後も拍手がなりやまず、出てきたジョナサン・ノットとソリスト陣に対してスタンディング・オベーションが行われた。

完全に終演した後にするのは初めての経験だ。私も起立して拍手していた。

 

 

今年はつまんない年になってしまって、これが最低だと信じたいけど、こんな演奏会が当たり前に開かれる日常が戻ってほしいと心から思った。

しばらく意識して自粛生活を続けることにする。